悲しい事件が後を絶たない

朝コーヒーを飲みながら昨日の新聞を読み直していて悲しくなりました。

仙台の交番のおまわりさん刺殺事件についての論評がありました。

『3発は発砲しすぎだ』と。

わたしは警視庁に勤めていた時期がありますから言えますがそのときの警察官がとった行動は若い警察官が殺されたことへの復讐みたいなそんなレベルが低いことじゃありません。

警察発表には公表できないこともあります。例えば今回のように若い人の犯罪は両親や兄弟まで影響が及びます。だからこれ以上その人たちを傷つけないために最小限しか発表しない、ということもあります。

『3発発砲した』ということはそうしなければいけない状況があった、と考えるべきです。

警察官になる前に学校では厳しい訓練を毎日します。

今交番で制服をきて拳銃をつっているおまわりさんは(あえて『おまわりさん』といわせていただきます)そんな厳しい訓練を乗り越えた方々なのです。

学校ではもちろん勉強もします。刑法、交通法、警察法、公務員法などを朝から晩までみっちり勉強しますが配属されてからも法律が細かく変更になることがあるので毎年法律の本を買います。それを活用しています。

中でも拳銃の取り扱いについては時間をさいて訓練をします。これは現役のおまわりさんになっても続きます。

悪い人をつかまえるのも仕事のひとつですが未然に防ぐのもお仕事だということも習います。

巡回や職務質問をするのは未然に防ぐためです。

仙台のおまわりさんに打たれた方は亡くなりましたがそのときの交番の中でのやりとりがわたしたちにはわからないわけだから新聞に『3発は撃ちすぎ』とはいかがなものかと思いました。警察側からしたら逆に『3発も発砲しなければならない状況』もあるわけですから。

わたしが在職していた頃は警察官を殺すと罪は一般の方より重かった。それは警察官が一般の方の命より重い、という意味ではなく、法を司る者を殺す罪の重さだったんだと思います。

現代はわたしから見たらバランスが悪い平等で警察官を殺しても罪は軽くなりましたし、父母を殺すと重かった罪もわたしが在職中にはその法律がなくなりました。

警察官は署名する際階級の前に『司法』とつけます。

わたしは『司法巡査』でした。

『法を司る理性をたたきこまれます』

拳銃を使えて『逮捕権』があるわけですから。

若い人をわざと拳銃で殺すおまわりさんはいないでしょう。

だからわたしがこの場をお借りしていいたいのは『3発発砲しなければならない状況だった』ということです。

報道は警察を悪くいう傾向があります。真実ではないこともあります。まどわされないように自分で判断できるように本を読んだり調べたりすることは大切だと思います。ネットや匿名の書き込みもダメです。ウソが多すぎます。

ただ思想の話になってきたらそれは平行線だし正しくない、正しいの問題ではないので警察の話にそれを持ち込むのもなしです。

あえていわせていただくと交番の改良は必要かと思います。

東京では新しい交番は机が棚のように高くなっていてこちらからおまわりさんには近づけません。おまわりさんが書類を書いている無防備なときも日本刀でもないかぎり届きません。

それでおまわりさんとの距離はできたでしょうか?

いいえちゃんと交番の外には耐刀ベストをつけられたおまわりさんがニコニコとたっていらっしゃいます。

距離を縮めるためにベストをつけないのは間違っています。

桜地区では全てのおまわりさんがベストをつけていらっしゃるが違和感は全くないです。

交番のおまわりさんが1番危険なわけですから自分の命を守る行動は必要かと思います。

わたしが1番嫌いな結果論になりますがこの場合あえてかかせていただけばつけていたらおまわりさんも若者も死なずにすんだのかもしれません。

決まったことはきちんとやらないと悲惨な結果を招きます。